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ねことパンの日々

ねことパンの日々

ジンギスカンあれこれ


ジンギスカンあれこれ

 昨年、近所に新しい肉屋が出来た。
 ハムやソーセージの品揃えはないが、最高等級牛のサーロインから百グラム九十八円の豚小間切まで、幅広く取り揃えてある。私などは高級な肉には手を出さないから、豚小間切や合挽肉、コロッケなどを買う程度なので、ほとんど不便を感じない。しかも旨い。散歩の序でに良い食材が手に入るとあって、私はとても有り難いと思っている。
 ただ、ひとつだけ、この店に不満がある。羊肉を全く扱っていないのである。

 北海道生まれの私は、小さな頃から、あの有名な肉料理「ジンギスカン」を食して育った。内地(北海道民は本州のことをこう呼ぶ)に越してきてから暫くの間、買い物に出かけても冷凍の羊肉、味付肉のパックすら置いていないことが多く、大いに不満を感じたものである。その不満を幾分解消してくれたのは、時折送られてくる実家からの小包ぐらいのものだった。最近は、ダイエット・ブームも手伝って(どうやら羊肉は太りにくいという説があるらしい)、高級食料品店だけでなく、幾つかのスーパーでも羊肉商品を見かけるようになった。
 羊肉を食うという習慣が北海道で始まった、その起源については幾つか説があるが、軍需産業としての緬羊飼育と密接な関係があることは確からしい。一九一八(大正七)年、政府の「緬羊百万頭計画」によって、北海道がその主要な生産基地と位置づけられ、大規模な緬羊の飼育が行われるようになると、羊毛や皮を採取した後の肉の処分が問題となる。食用に活かす方策として参考としたのは、元々羊肉を食する文化を持った中国東北部の調理法であったようだ。昭和の初め頃、かの地に進出していた関東軍と縁の深い「糧友会」なる団体が、「カオヤンロー」なる名前で、ジンギスカン風の料理を実演したことが、文献に記されているそうである。尚、「ジンギスカン」なる名称の文献に於る初出は一九三一(昭和六)年、日本初のジンギスカン料理専門店は、東京都杉並区の「成吉思(じんぎす)荘」(一九三六年)と云われている。
 ジンギスカンが北海道で広く普及したのは戦後、皮肉にも、軍需産業と緬羊の関係が最早意味を成さなくなってからのことである。

 では、北海道で普及したジンギスカン、あるいは羊肉を食するという食文化は、何故他の都府県に広がらなかったのであろうか。
 いや、実際には、緬羊の飼育が盛んだった岩手県、山形県、そして長野県では、ジンギスカンなる料理が広く受け容れられているそうだ。とすれば、羊の飼育地以外には広がらなかった、と云った方が適切であろう。
 羊肉の脂肪には、牛や豚の肉に含まれない脂肪酸があり、独特の匂いを発する元となっている。冷凍肉を解凍して使う際などは、管理の仕方を間違うと脂肪が酸化し、強烈な臭みを発することがある。冷凍技術が未熟だった時代には、生産地の外に出せるような代物ではなかったのかもしれない。また、広い北海道でジンギスカンが受け容れられたのは、安い羊肉を消費する必要に迫られていたためではないだろうか。
 父は、よく旨い肉屋の噂を聞き付けては、私達大食漢の子供等のために、味付の羊肉を買い込んできた。肉の質もそうだが、漬け込むタレの味が、肉屋選びの決め手になっていたと記憶する。これは、鮮度の落ちた羊肉独特の臭みを誤魔化すために編み出された知恵と言うべきものである。
 明治維新以来、北海道は中央に管理され、その援助無しには自治体として成り立つことが難しかった。現代においてすら、所得や生活水準はかなり低い。羊肉を食う習慣とは、そうした已むに已まれぬ先人の苦悩の先に生まれたものではないか、と推測する。

 そんな些かセンチメンタルな気分にさせるジンギスカンであるが、私にとっては幼い頃から慣れ親しんだ味であり、沢山の思い出の中に刷り込まれている。夏の暑い日の夕方に度々、自宅のガレージで家族皆で鍋を囲んだ事は、懐かしい思い出である。肉を食いながら旨そうにビールをぐいぐいと飲んでいる父の姿を、私はさぞ羨ましげに見ていたことであろう。
 親戚が遊びに来た時、運動会、キャンプ等々大人数が集まる時にも、ジンギスカンのような比較的準備が楽な料理はもってこいである。肉はスーパーや肉屋で味付の物を買ってくれば良いし、野菜はざくざくと刻むだけである。これに握り飯でも付けば、まことに豪華な食事となる。
 鉄兜のような鉄製の重い鍋にラードを塗り、大量のもやしを乗せた後、味付の羊肉や茄子、人参、玉葱などの野菜をその上に乗せ、焼いて食う。鍋の縁には肉汁を受ける溝があって、そこに溜まった肉汁に生のキャベツを入れ、さっと煮て食うのも、また旨い。食べ残した肉や野菜と一緒にうどんを炒めるのもいい。
 ある家では、茹でたラーメンの麺を焼けた肉や野菜にからめて食うそうだし、またある家では、肉をベリー・レアで食うのが常識というところもある。それぞれの家庭に、それぞれのジンギスカンの愉しみ方があるようだ。

 さて、冷凍技術が進歩し、旨い羊肉が食える時代になったとはいえ、まだ羊肉は臭いと敬遠する人がいる。私などは全く気にならないが、考えてみると、羊肉独特の匂いだけでなく、様々な野菜や果実、香辛料を使って作られる漬けダレの匂いは、焼肉のようなスタイルで食していると、全身にその匂いが染み渡る。室内であれば、カーテンやソファのカバーまでが、羊の匂いに占領されてしまう。だから、極力ジンギスカンは屋外で、しかもラフな格好で食するものだと私は思い込んでいる。実家で食べたジンギスカンの思い出が夏ばかりなのには、このせいであろう。
 しかし、冬にもジンギスカンが無性に恋しくなることがある。そんな私に、父が冬のジンギスカンの愉しみ方を教えてくれた。
 土鍋に刻んだ白菜を敷き、豆腐、シラタキ、シイタケ、その他あり合わせの野菜と味付の羊肉を入れ、酒を少々ふりかけ、火にかける。野菜から出る水分と肉の汁で、見事な煮込み鍋が出来上がる。これを肴に、単身赴任中の父と二人、差し向かいで呑んだことがある。何を話したか忘れてしまったが、これもまた、良い思い出となっている。

 事程然様に、私のジンギスカンにまつわる話は尽きない。こうして書いているだけでも、鼻腔をあの肉の香りが擽るようである。ここはひとつ、近所の肉屋に直談判するより、実家に電話を一本入れるべきだろう。そうして、幼い頃の懐かしさを、父母と共有するのも、決して悪いことではないようだから。








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